絶望ノオト

ゆっくりと確実に、世界は終わっていく。

自我が芽生える瞬間。

我思う、故に我あり。

自我が芽生えた瞬間を覚えている。あれは4才の時だ、いつものように幼馴染の友達の家に遊びに行くとその日は留守だった。僕は待つことにして友達の買ってもらったばかりの自転車を勝手に跨ぎしばらく時間を潰そうと考えた。隣には花壇。友達のお婆ちゃんが大事に育てたチューリップが3本キレイに咲いていた。

強い風が吹き僕は花壇に自転車ごと倒れた。ごめんチューリップ。チューリップは三本とも折れてしまった。

悪いことをしたと強烈に意識した。稲妻が走ったかのようにみるみる世界が鮮やかになっていく。脳が完全に更新されていくのを感じる。今の僕の精神とまったく変わらない精神構造はこの時に形成された。

これは絶対に隠さなきゃ。お婆ちゃんから絶対隠さなきゃ。いままで優しくしてくれた友達とお婆ちゃんに怒られる。

僕はチューリップを球根ごと引き抜き元からなにも生えていなかったように土を整え一本は近くの車の下に、もう一本は下水道に、最後の一本はよその民家の庭に勝手に植え、走って逃げた。

よく考えたら即バレなんだけど当時の僕はとりあえず完璧に隠蔽できたことに心から安心してその日はぐっすり眠ることができた。

次の日。また幼馴染の友達の家に向かった。昨日のことは完全に隠し通せると思っていたので何ごとも無かったかのようにチャイムを押すとこの日は幼馴染のお母さんが出てきた。幼馴染くんいますか?と聞くとおばさんはすこし困った顔をして、僕くん昨日ね、花壇のチューリップが折られてたんだけど何か知らない?と聞いてきた。何故バレたの…。あんなに完璧に隠したのに。おばさんは続けてチューリップが一本車の下から見つかったことを言った。そりゃそうだ車が動いたら下のチューリップは取り残される。僕はしまったと思った。完璧に隠せたと思ったのに。僕はもう逃げるしかなかったのでその場から走って逃げた。

下水道のチューリップとよその家のチューリップはバレなかったのに。僕は詰めが甘かったと反省した。チューリップにも悪いことをしたと悲しかった。

家に帰ると大きなトラックが来ていて母親になにしてんのこれと聞くと今日この家から引っ越すんやでと言われた。

僕は知らなかったんだけど、いや知っていたんだけど自我が芽生えたのは昨日だったので引っ越しの意味を理解したのは今この瞬間だった。ともかく僕は突然他県に引っ越すことになった。

普通なら悲しいことなんだろうけど僕は幼馴染と幼馴染のお婆ちゃんとお母さんにもう怒られなくて済むんだと思いすごく喜んだ。そしてうきうきで遠い地に離れ、このことはよくよく悪いことをした時の代表の記憶となり僕の心に強く残ることになった。

悪いことをするとこんなに後味が悪くなるんだとモヤモヤが残ることのツラさを知った。あとチューリップの痛みなども心に深く、というかこの記憶が最初の記憶なのですべてここから上に記憶の蓄積が始まった。

 

小学校を卒業すると、またもう一度4歳まで住んでいた家に戻ることになった。あのチューリップと幼馴染、お婆ちゃんとおばさんの顔が脳裏に浮かぶ。中学校で幼馴染に当然再会した。

幼馴染に当時のことを白状し、チューリップを折ったのは自分だったことを告げ謝りたい旨を伝えたが幼馴染は当時とまったく変わっていない楽天家に育っており、すごく笑ってまったく覚えてないから別にもう良いんじゃない?と言った。

僕のこれまでのモヤモヤに対して別にもう良いんじゃない?の返しはなんか納得行かなかったが肝心のお婆ちゃんはずいぶん前に亡くなられてしまったそうなので、僕はお線香だけ上げさせてもらいに家に行くことにした。10年ぶりの幼馴染の家はあんまり変わっておらず当時広大に感じた庭も実は四畳ほどの小さなスペースだったことに懐かしさとも寂しさとも似た感情が湧いた。例の花壇も変わらず健在でその年はパンジーが何本が揺れていた。

おばさんはいなかったが仏壇のお婆ちゃんには挨拶とごめんなさいを伝え、幼馴染と小さかったころの話を少しして帰った。

僕の心に残った罪悪感はすこし和らいだ。

できればあのチューリップとお婆ちゃんに直接謝りたかった。