絶望ノオト

タイトル変えました。他にいいのを思い付くまで仮タイトルです。ゆっくりと確実に、世界は終わっていく。

しあわせのくつから受け継がれたゲームシステムの深い闇

これはゲームに出会ってからそれなりにゲームを楽しんできた一人のファンとしての声にならない叫びだ。

 

最近ゲームの類をしなくなった。

理由としては、最近のゲームはとにかく満足の行くプレイをするために、より多くの時間を要求してくる傾向にあるためだ。

単純にクリアーするだけならあまり時間はかからないのだろうが、ゲーム内に出てくるレアなアイテムやキャラクターを入手しようとすると、何度も何度も同じ敵と闘わされたり、やけに面倒なダンジョンを何十回も周回させられたり、その作業や時間がひたすら無駄に思えてしょうがなくなってしまった。

 

どうしてほとんどの面白いタイトルがこんな無駄に面倒なシステムを持つことになってしまったんだろう。

 

入手難度のせいで何度もトライさせておいて心と時間を浪費させる方法の元祖はなんだったんだろうか、ずっと考えていた。

多分元祖は、あのはぐれたメタルな奴が落とすアイテム、「しあわせのくつ」じゃなかっただろうか。

(もっと元祖があるのかも知れないけどこれ以上前に発売されたゲームでさらに有名なのは知らないので勘弁してください。)

 

しあわせのくつは発売当日お店に行列ができるほど社会現象並にヒットした大型タイトルに登場する、出会いづらい・素早い・硬いと三拍子揃ったモンスターが低確率で落とす、非常にレアなアイテムだ。

 

当時プレイした時はだいぶ幼かったので、記憶はかなり曖昧になってしまったけど、余りの出ない加減にさっさと諦めてゲームをクリアーしてしまった気がする。

 

しあわせのくつをゲットした!といえばクラス、あるいは学校中、もっと言えば自分の所属するコミュニティを飛び越えて一躍ヒーローになれたはずだが、僕の知っている限り手に入れた!とする子供や大人は周りにいなかったので、本当に落とすアイテムなのかかなり疑わしかった。

今と違ってその時はネットなんて無かったので本当に存在するかどうか、そもそも調べようがなかったこともある。

 

いま調べてみると1/64の確率で本当に出るんですね。

結構高確率だな…って思ってしまうのは最近のゲームの平均的なドロップ率の低さに身も心も慣れてしまったせいだろうか。

 

とにかく何が言いたいのかと言うと、このしあわせのくつのドロップ率の低さは当時なんの情報力のかけらもない僕や僕以外の子供達が知っているほどにはかなり有名で、クラス内の友人や知人達の会話に上がるほどの話題性をたしかに持っていた。

 

もちろんこのゲームはおもしろかったからこそヒットしたに違いないし、買った後の期待を裏切らない出来だったのは間違いないし、そこに異論はない。

でもそれ以外にも、このしあわせのくつのドロップ率の低さはそのタイトルやシリーズのその後の知名度を高めることにそこそこ貢献したんじゃないだろうか。

手に入らないレアアイテムの代名詞=パイオニア的存在=しあわせのくつ、となるぐらいには。

 

プレイした人達がそういったレアなものを入手するために莫大な時間と心血を注ぎこんでしまうのは、単にゲーム内での利便性や遊びの幅を広げたいからだけでは決してなく、それ以上に他のプレイしている友人達や知人達から羨望の眼差しを得たいがためという理由のほうが大きかったと思う。

つまり自分のためだけでなく、それ以上に同じ物事に熱中している人達から向けられる視線に自分自身が満足するためにこのアイテムの入手を目指していたと言っていい。

 

いわばトロフィー的価値が、このレアアイテムやそれらを入手するために使用した時間と情熱の先に確実に存在していた。

占有欲や承認欲求を否定はしない。が、最近のゲームに共通する印象でレアなものを入手するために必要なノルマや入手確率が低く設定されすぎて、度が過ぎていると一様に感じざる負えない。

満足度と入手するまでのバランスが、ちょうど良い達成感で確実に手に入る時代までならまぁ問題は無かった。

それが今やちょっとやそっとでは入手出来ないかもしれない難易度「低確率で入手」などにされ、なんと酷いゲームでは0.1%を切るのもザラにある。こんな設定にした作り手側の人達は、プレイしている人にいったいなんの恨みがあるんだろうと感じずにはいられないレベルだ。

 

ソーシャルゲームに関してだけ言えば、これについて明確な回答を示してくれた。答えはお金になるからだ。

入手しにくいアイテムやキャラクターをわざと作り、これが欲しいならあなたの時間やお金を使ってね。と、こう来たわけだ。

当然難なく手に入れることのできる幸運なプレイヤーばかりではない。

多くは私財や時間を浪費した挙句、行き過ぎて人生を狂わした人達も少なからずいただろう。

これに関しては、プレイヤーの自己責任論は全く通用しない。

射幸心を煽るシステムを作る側が悪いに決まっているし、射幸心を煽り過ぎないようにどこかで規制する必要が絶対にあったし、その規制が無いことを良いことに好き放題させている社会が悪いに決まっている。

ガンジーの提唱した社会的七つの大罪の項目でハットトリックを決めそうな勢いだ。はっきり言って憤りすら感じる。

 

話を元に戻すと、最近のゲームはやけに何でもかんでも行き過ぎた低確率入手設定にこだわり、入手のための難度を高く設定し過ぎている。

もう作り手側の悪意しか感じないほどだ。

しあわせのくつが目指した低ドロップ率による入手難易度から生まれる満足度の達成と、それに付随する話題性を持たせようとする試みを持っていた時代からは完全に逸脱してしまった。

 

社会現象並にヒットしたゲームの多くは会話のとっかかりになる役割を一部果たしていたかもしれない。が、それだって難しければ難しいほど良かったわけではなかった。難しくしつつも達成できる、クリアーによるストレスの発散にちょうどいいゲームバランスの難易度だからこそ、当時の一般の人達に受け入れられ話題になったのだ。

 

例のゲームやってるんですけど中々クリアーできなくて、、

あー、あれは難しいですよね、こうやればクリアーしやすくなるかもしれませんよ

なるほど今度やってみます!

おかげでついにクリアーできたんですよ!

あー、それは良かったですねー!

 

こんな感じで雑談のとっかかりにもなっただろうか。

別に他の趣味でも同じことなんだろうけど当時に限ってはこの役割を大ヒットしたゲームは一時期だけは果たしていた。

しあわせのくつや、それ以外の最初期の低入手確率のアイテムやキャラクター達、クリアーまでの難易度の高さは、この話題のとっかかりになる側面を二次的にだが持ち合わせることになった。だからこその話題性だったはずだ。

 

高い難易度設定や入手難度の考え方自体の全てを否定はしない。でもそれは適度に頑張らせすぎないまでにクリアーまたは入手できて、プレイヤーに満足度を与えるレベルに限っての話だ。

 

しあわせのくつやそれが登場する同タイトルの成功例からヒントを得た、他のゲームタイトル内にも同様のアイテムやキャラクター、クリアー、や入手への高難易度設定は次々に登場していった。やがて難易度設定はエスカレートの一途を辿り、ついにはプレイヤーに異常な時間と技術、忍耐力を要求し始めるに至ってしまい、そしてそれがまたさらに悪いことに一部のコアなファンに受け入れられてしまった。

一般のライトな層はこの時点で置き去りにしてしまってだ。

その姿に目を付け、ゲームに飢えたライトな層に時間や技術を要求する代わりに現実のお金を要求することに重点を置いた低入手確率のゲーム群が現れた。それが基本無料を謳うソーシャルゲーム群だ。

 

もう一度繰り返しになるが、ゲームにおける常軌を逸した難易度設定は完全に当初の目的を逸し、ついに大半が集金や時間を無駄に浪費させるためだけのシステムとなり下がってしまっている。

こうしたゲームを作っている人達、または監督している人達に声を大にして伝えたい。

時間とお金を無駄に浪費させるシステムはただちに是正して頂きたい。

このまま非道なバランスの崩壊したシステムを続けるならば、往年のファン達やライトな一般層はどんどんゲームに疲れ、ゲーム業界は衰退の一途を辿ることになるだろう。

もうすでにファンは離れているのかもしれないが離れられる人達ならまだ良い。

問題はこの難易度に取り憑かれ、離れられない人達がすでに多くいることにこそ問題がある。

そしてその多くは、ゲーム経験の短い、ゲーム疲れを起こしにくい元気な若い世代の人達なんだ。

 

嘘か本当かは知らないが昔の中国では麻雀が流行しすぎたために国家が滅亡の危機に瀕し、国が麻雀禁止例を出して取り締まる自体になったことがあるそうだ。

 

大げさな例えかもしれないが、時間を忘れるほどの面白いゲームを作れる技術や知恵を持ったのならば、次は未来ある若者やゲームから離れることができない人達がそのシステムに取り憑かれることのないよう、直ちに見直しをするべき時期に来ていると理解してほしい。

 

これから技術が進歩し、ついにゲームの中に感覚ごと投じるようなすごいゲームが生まれるかもしれない。その時にこんなシステムが根づいていたらと思うと全くプレイする気にはなれそうにない。

なぜなら、せっかく楽しげな世界に入れても、ぜんぜん欲しいアイテム出ないやん!なんて思いたくもないからだ。